マイ・リトル・ジダン。

数年前、イングランドのサッカーチーム・マンチェスターUのファーガソン監督は、
当時のチームの大黒柱であったMFポール・スコールズ選手のことを、
「私にとっては、フランス代表のMFジダン選手よりも価値がある」
という意味で、「マイ・ジダン」と言った、という話を聞いた。

おはようございます、ロベルト本郷猛です。
先日の出張の代休を頂き、ちょっとのんびりした日々を過ごしています。
昨日は買い物をして帰宅したら、家族が出かけていたので、
二階で布団を引っ張りだして昼寝をしていました。
そうすると、なにかドヤドヤ音がしてきました。
どうも息子が友達を連れて帰ってきたようです。
(外は少し雨が降ってきたようです。)

私が寝ていたのは、寝室。
寝室は布団を片づければ6畳のフローリング。
そうここは、私と息子には、
クッションボールを使ってのサッカーのキックの練習場と化します。

ガチャ、とドアが開くと、
「あっ、パパいたんだ。」
「ああ、疲れているので寝てます。」
「そうなの。」
と言って、息子達はいったん息子の部屋に向かいました。
ホッとしてまた居眠りをはじめようと思いましたが、
「息子達はここで何をしたかったのか?
 まさか、サッカーのキックの練習をしようと思ったのか?
 そうなると私は別の場所で居眠りした方が良さそうだな。」
と思案しました。
どうするか。
布団をたたんで、「こっちの部屋で遊べ。」
と声を掛けようとした瞬間、またドアが開きました。
「パパ、寝るなら別の部屋で寝てください。
 この部屋でサッカー、練習したいのだけど。」
「わかった。パパはおまえの部屋で寝るよ。」
「ありがとう。」

息子の後ろには2人の友達が。
「いつも遊んでくれてありがとう。
 そのボールなら壁にぶつけていいからね。
 いっぱい遊んでね。」
と声を掛け、マットと枕をもって私は部屋を移動しました。

その後、
「シュート!」
「ナイスキーパー。」
「必殺、○○シュート。」
「なんの、○○キャッチ」
などと、
流行りのTVアニメ「イナズマイレブン」で出てくる固有名詞が
隣の部屋の私にまで聞こえてきます。

遊びに来た子の1人は、先日、
サンパウロ公園で一緒にサッカーをした子です。
妻の話によると、なんでもやはり七夕の願いはサッカー絡みだとか。
「いっぱいサッカーがしたい、サッカーが上手くなりたい、
 サッカー選手になりたい。」
とサッカー三部作の願い事とか。
どんだけサッカーが好きやねん、
って保護者の間でも話題になったとか。
先日一緒にやった感じでは、技量はまだまだでした。
でも、やはり妻の話では、毎日我が家に来て、
「テディ、サッカーやろう!」
と息子をサンパウロ公園に連れだしてくれるのは、
この子なんだそうです。
本当に、息子といつも遊んでくれて、
そしていつもサッカーをしてくれて、ありがたいです。

その子も息子の影響を受けて、
「サッカー教室に入りたい、サッカーチームにも入りたい。」
と言っているそうです。
サッカー教室にサッカー少年団の両方に入れてるなんて、
近所ではウチぐらいなものなので、
妻はその子の保護者に、
「ウチの子も他の子に誘ってもらって、
 サッカー少年団に入った。その少年団は保護者の出番も少ないし、
 知っている子も数人いるから、どう?」
と言ったらしいです。

話は戻って。
隣の部屋から聞こえてきます。
「テディ、ちょっと、蹴ってみて。」
「おりゃ!」
「なんか、テディのキックは違う。
 ねぇ、○○、ちょっと蹴ってみて。」
「全力、○○キック!受けてみろ。」
「あれ、そんなに強くないね。
 テディ、また蹴って。」
「俺のシュートを受けてみろ。」
「やっぱり。なんか、テディのシュートの方が強いよ。
 蹴り方がちょっと違う。」

そうなのだよ。
気がついたか、息子の友人達よ。
足を振り回して蹴るだけでは、それほど強いシュートは飛ばないよ。
また股関節を痛めることもある。
だから、振り回すのでなく、前進しながら、跳ねるように蹴る。

さしでがましく、アドヴァイスに行こうかと思ったが、
隣で寝ていた。この様子なら、そのうち自分で獲得できるだろう。
息子もキックの方法は自覚しているようだし。
「宇宙人」とも言われたフランス代表のMFジダンは、
そのテクニックのほとんどを自宅近くの広場での、
路地裏サッカーで獲得したという。

80年代後半から90年代まで、
プレスサッカーが全盛で、やはり技巧派の選手だった、
イタリア代表のロベルト・バッジョ選手は、
その運動量の少なさから、
イタリアの強豪チーム、ユベントスやACミランから戦力外とされた。
そして行き着いたのが中堅チーム・ブレシア。
ブレシアでは守備を免除され、FWとしてプレー。
また輝きを取り戻し、
デルピエロ中心のイタリア代表チームに招集された。

バッジョの抜けたチーム・ユベントスの中心は、
ジダン、デシャン、そしてデルピエロ。
いまはイタリア代表の監督、リッピ氏に率いられたチームは、
トヨタカップで来日した。
不幸にもその試合、私はバックスタンドのかなり後方でしか、
観戦できなかったが、その高いところから俯瞰してみたことで、
その組織的なサッカーのすべてを知ることができた。
そして後半、ユベントスは、やり方を変えた。
ジダンの位置が変わったのだ。
そして試合は、デルピエロのゴールでユベントスの勝利で終わった。

ジダンとバッジョは、
98フランスワールドカップの準々決勝で対決する。
バッジョは調子の上がらぬデルピエロに代わり、
イタリアの攻撃の中心として、その地位を取り戻していた。
もちろん、フランス代表の中心はジダン。
またフランスのFWには若きアンリがいた。
この試合はとても見応えがあった。
もしかしたら勝っていたのは、イタリアかもしれない。
しかしPK戦の末、勝ったのはフランス代表チームだった。
そしてこの大会、優勝したのはフランス。
その後、ジダンはその価値がより高まり、
イタリアのユベントスからスペインのレアルマドリードに移籍する。
そのレアルマドリードには、
ブラジルのFWロナウドや、ポルトガルの至宝といわれたフィーゴがいた。
ジダンとベッカムが加わることで、
スペインの強豪レアルは、「世界選抜」を凌駕した「銀河系選抜チーム」
とも言われるようになった。
「ギャラクシー」「ギャラクティコ」とも言われた。
そして選手よりも戦術を重視した時代も終わりを告げる。
プレスをかわすテクニックを要した選手こそが、
価値があり、サッカーのエンターテイメントはそこにあると、
欧州のサッカーシーンは気づいたのだ。
日本でも、
ジダンの名前の入ったユニフォームを街で見かけることが多くなった。
ジダン、そしてバッジョの活躍が、
サッカーの魅力を再認識させたのである。

「戦術よりもテクニック」
「テクニックは、路地裏のサッカーから生まれる。」

話は戻って。
気がついたら、私は寝ていた。
なにか気配がしたので目を覚ますと、
あの子が侵入し、
息子の部屋から「ビーダマン」のセットを盛って出て言った。
私に見つかると、照れくさそうな微笑みを浮かべた。
声は掛けなかったが、
私はこころの中でつぶやいた。
「いつも、息子と遊んでくれてありがとう。
 サッカー好きか?
 そう、でもサッカー以外の遊びもどうぞ。
 子どもは遊びの天才。
 いろいろと遊ぶ楽しみやルールを工夫する。
 そういった姿勢から想像力が生まれる。
 想像力を育む姿勢、それがサッカーにも大切。
 好きなように遊べ。
 飽きたら、またボールを蹴ればよい。
 サッカーも遊びだから楽しいのだ。
 そこでテレビで見たプレーを真似すればいい。
 どうしたらそんなプレーができるのか、考えればいい。
 それが上達の一番の近道。
 ジダンも、自宅近くの広場から、名選手になった。」

私の近くの、小さなジダンのような選手達よ。
いっぱい遊べ。
未来は君たちの手の中にある。
喜びを手に入れろ。

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